雑司ヶ谷旧宣教師館に行ってきました!

スクーリング は体験型な学びも重視

翔洋学園高等学校ネットキャンパスのスクーリングでは,体験型な学びも重視!

座学だけでなく教室を飛び出して、校外での学習活動も行います。

生徒も教師も一緒になって実際に見たり、聞いたり、触れたりすることを通して学習の質を高めることが目的です。

生徒たちは事前学習に取り組んでいますので、より理解が深まります!!

今回は,東京・雑司ヶ谷で実施した校外学習の様子をご紹介します。

雑司ヶ谷旧宣教師館

雑司ヶ谷旧宣教師館は1907年にアメリカ人宣教師ジョン・ムーディ・マッケーレブの自宅として建てられたもの。

雑司ヶ谷旧宣教師館(旧マッケーレブ邸)は明治40(1907)年にアメリカ人宣教師ジョン・ムーディ・マッケーレブ(1861~1953)が自らの居宅として建てたもので,豊島区内に現存する最古の近代木造洋風建築です。

19世紀後半のアメリカ郊外住宅の特色を有する,木造総2階建ての質素な外国人住宅です。

暖炉に見られる植物のような模様は、アール・ヌーボーのモチーフであると言われています。

寝室の天井には,割竹が用いられています。

雑司ヶ谷旧宣教師館の館内の様子。

マッケーレブ離日後,宣教師館は個人所有となっていましたが,昭和57(1982)年に売却された際,住民の保存運動により豊島区が購入。

平成4(1992)年に豊島区指定文化財、平成11(1999)年に東京都指定有形文化財となりました。

雑司が谷旧宣教師館の近くには,雑司ヶ谷霊園があります。

この地はかつて徳川の御料地で寛永15(1638)年に薬草栽培の御薬園となりました。

享保4(1719)年に御鷹部屋が建てられて以後 、 将軍の鷹狩りに使う鷹の飼育場所として使われていましたが明治時代に入ると墓地として整備されました。

明治以降の著名人・作家・文化人が多く眠っており、散策に訪れる人も多いそうです。

太平洋戦争開戦時の首相・東條英機。

戦後 、 東京裁判で死刑判決を受け 、 巣鴨プリズンで刑に処されました。

現在 、 巣鴨プリズン跡地には高層ビル「サンシャイン60」などが建てられています。

小説家・英文学者の夏目漱石や画家・詩人の竹久夢が眠っているんですね。

5月の校外学習では,漱石が晩年を過ごした漱石山房跡を訪れました。

叙情的な美人画を描き 、 明治末から大正初期にかけて一世を風靡しました。

校外での活動を通して興味関心を広げ 、 より深く学ぶきっかけにしてほしいと思います。

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